2026年1月12日、小川晶(おがわ あきら)氏が前橋市長選で再選しました。
この記事では、小川氏の学歴・経歴と、弁護士から市長へ転身した理由、歩みと、政治家を目指したきっかけになった「ある事件」までを調べました。
最後までお読みください。
前橋市長・小川晶の経歴・学歴がすごい!
2024年に前橋市初の女性市長として誕生し、2026年1月の出直し選挙でも再選を果たした小川晶氏。その華やかな経歴と、たゆまぬ努力に裏打ちされた学歴が「すごすぎる!」と話題です。
小川氏は千葉県匝瑳市の農家に生まれました。
中学時代は少林寺拳法に打ち込む「少林少女」だった彼女は、茨城県の進学校である清真学園高等学校へ進学。
親元を離れた寮生活で自立心を養いました。
大学は、名門・中央大学法学部法律学科を卒業。
難関を突破し、法曹界への道を切り開きました。
大学卒業後、司法試験に合格。
前橋地方裁判所での司法修習を経て、2007年に弁護士として登録されました。
前橋市内の法律事務所で活躍する中、2011年には群馬県議会議員に初当選。
なんと4期連続当選という圧倒的な支持を得て、政治家としてのキャリアを盤石なものにしました。
2024年に前橋市長選で初当選、異色の「弁護士市長」の今後に注目が集まりました。
弁護士としての論理的思考と、県議4期の豊富な行政経験を併せ持つ小川氏。
自身の不祥事による辞職・再出馬という波乱を乗り越え、再び前橋の舵取りを担います。
その「負けん気の強さ」でどのような市政を見せてくれるのか、今後も目が離せません!
前橋市長・小川晶が弁護士から市長へ転身した「意外な理由」とは?初当選から現在までの歩みを調査!
2024年に前橋市初の女性市長となり、2026年1月の出直し選挙で見事再選を果たした小川晶氏。
一見、順風満帆なエリートコースに見えますが、弁護士から政治家に転身した裏には、彼女ならではの「熱い思い」がありました。
弁護士が政治を志した「きっかけ」とは何だったのでしょうか?
小川氏が弁護士から政治家への転身を決めたのは、法律の限界を感じたからだと言われています。
弁護士として個別のトラブルを解決する中で、「個人の力ではどうにもならない社会の仕組み(条例や制度)そのものを変えなければ、本当の意味で人を救えない」と痛感。
より多くの市民の生活を根本から支えるため、2011年に群馬県議会議員選挙へ出馬し、政治の世界に飛び込みました。
初当選から現在までの激動の歩み
- 2011年〜: 群馬県議として4期連続当選。圧倒的な支持基盤を築く。
- 2024年2月: 「市民の手による政治」を掲げ、前橋市長選で初当選。
- 2025年後半: 自身の不適切な行動を巡る騒動を受け、責任を取る形で辞職。
- 2026年1月: 出直し市長選で、批判を真摯に受け止めつつ「実績と継続」を訴え、再び市民の信任を得て当選。
逆風を跳ね返した小川晶氏のリーダーシップとは?
騒動という大きな試練を経験しながらも、再選を果たした小川氏。
その背景には、弁護士時代から変わらない「困っている人を放っておけない」という情熱と、在任中に進めた給食無償化などの実績が市民に評価された結果と言えるでしょう。
「出直し」のスタートを切った小川市政。今後、どのような改革で前橋をアップデートしていくのでしょう。
小川晶が弁護士を辞めてまで政治家を目指した「ある事件」の衝撃
若くして弁護士という安定したエリート職を離れ、なぜ過酷な政治の世界に身を投じたのか。
その背景には、彼女の人生観を根底から覆した「ある事件」の存在がありました。
人生を変えた「1997年の衝撃」とは?
小川氏が法律の道を志し、さらにその先の政治を見据えるきっかけとなったのは、1997年に発生した神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)です。
当時、彼女は中学3年生でした。
日本中を震撼させた凶悪事件の犯人が、自分と同じ「中学3年生の少年」だったという事実に、言葉にできないほどの衝撃を受けたといいます。
「なぜ同い年の少年がこのような事件を起こしたのか」「社会の何が彼をそうさせたのか」——。この問いが、彼女を法曹界へと突き動かしました。
中央大学法学部を卒業し、24歳で司法試験に合格した小川氏は、念願の弁護士になります。
主に家庭内暴力(DV)被害者の支援などに奔走しましたが、そこで再び壁にぶつかります。
弁護士は、目の前の「起きてしまった問題」を解決することはできても、「問題が起きる社会の仕組み」そのものを変えることはできません。
「法律や条例そのものを作らなければ、本当の意味で人を救うことはできない」
この強い使命感が、彼女を弁護士という職から、政治家という「ルールを作る側」へ転身させる決定打となったのです。
原点は「声なき声を拾うこと」だったのです。
それが中学時代の衝撃から始まった彼女のキャリアです。
2025年の騒動による辞職・2026年の再選という波乱の歩みの中でも、その根底にあるのは「社会の仕組みを変えたい」という執念かもしれません。
エリート弁護士という肩書きを捨ててまで挑んだ彼女の政治が、これからどのような結末を迎えるのか、市民の厳しい目が注がれています。

